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【あの時・あの重賞】2007年 皐月賞『栄光のゴールを射抜くワイルドなスピード』
【2007年 皐月賞】
20年連続して産駒が重賞制覇を果たすなど、日本競馬史に偉大な足跡を残したブライアンズタイム。晩年の傑作として忘れられない一頭にヴィクトリーがいる。トリプルクラウンに輝いたナリタブライアン以来、9頭目となるクラシックウイナーに上り詰めた。母グレースアドマイヤ(その父トニービン)は、フサイチコンコルド(ダービー)の半妹。その半弟にはボーンキング(京成杯)、アンライバルド(皐月賞)らがいる華麗なる一族である。
「生まれてすぐに対面して、なんて垢抜けた馬なんだろうって見惚れた。ただし、1歳くらいまでは内臓が弱くて。やきもきさせられたなぁ。それが、すくすく成長し、育成時代は半兄のリンカーン(阪神大賞典など重賞3勝、G1の2着が3回)より上だって評価されるようになったんだ。はるかにフットワークが力強くてね。ところが、手もとに来てからは、別の面で悩まされることになった。気性の激しさは、想像を超えるものがあったよ」
と、音無秀孝調教師は若駒当時を振り返る。栄光の喜び以上に、なかなか全能力を出し切れずに苦悩した思い出が残っているという。
2歳11月、京都の芝2000mに初登場すると、悠々と逃げ切り。後続に5馬身の差を付けた。続くラジオNIKKEI杯は、前走で行きたがったことに配慮し、返し馬をせずに臨んだ。クビ差の2着に敗れたものの、キャリアを考えれば上々の内容といえた。
「トモの疲れが長引き、若葉S(1着)まで間隔が開いた。仕上げ直すのはたいへんだったよ。追い切ったら、気難しさを増して、馬場入りもままならない。パシュファイヤーを装着してみたり、プール調教を多用したり。いろいろ工夫してみたけど、皐月賞の1週前になって大きな誤算があった。併せ馬で55秒くらいのメニューを考えていたのに、放馬してしまって。坂路を48秒6で走ったんだよ。いつもは反抗して真面目に走らないのに、いくら人が乗っていなくても、あんなタイムをマークするなんてね。長年、調教を見てきたけど、あんな猛烈なスピードで駆け上がった空馬はいない。底知れない才能を見せ付けられた思いがした。それに、結果的にはちょうどいい負荷がかかったんじゃないかな」
翌週の最終追い切りは、気を抜かせないのように見せムチを多用し、とっさの動きにも対応できるように極端に鐙を長くして、馬が少なくなった遅い時間に行った。そんな荒々しさが敬遠され、皐月賞は7番人気(単勝17・3倍)で臨むことになる。
好位に控える戦法を指示されていた田中勝春騎手だったが、「最初のコーナーで馬が行く気になってしまって」と一気にハナへ。この判断が功を奏し、向正面では折り合いが付いた。5ハロン目からぴたりと同じ12秒3のラップを3つ刻み、早めにスパートする。ラストを11秒6、12秒0、12秒3でまとめる絶妙のペース配分。終始、2番手でマークしたサンツェッペリンとの叩き合いをハナ差で凌いだうえ、末脚勝負に徹したフサイチホウオーやアドマイヤオーラらの追撃も封じ込んでしまった。接戦ではあったが、自らレースをつくって勝ち切った中身の濃い勝利だった。
だが、ダービー(出遅れて9着)以降はコントロール面の課題が際立ち、結局、未勝利。5歳の金鯱賞(12着)を最後にスタリオン入りすることとなる。結局、目立った活躍馬を送り出せず、4シーズンで乗馬に。13歳の若さで病死してしまった。
神戸新聞杯(3着)時より担当し、精神面の改善を任された竹中理調教助手は、同馬の魅力をこう話してくれる。
「レース後もケロリとしていて、一度も本気で走り切ったことがなかった。だから、成績が伴わなくても、ずっと未知の可能性を感じていましたね。すぐに感情をぶつけようとしますので、気が休まる余裕もなかったのですが、あんな乗り心地の馬と出会ったのは初めてです。背中の柔らかさは、やはり超一流のものでした」
破天荒な天才にとって、たったひとつの勲章が皐月賞。しかし、その走りは芸術的な美しさに満ちていた。いまでも歴代の名馬たちさえ及ばない煌めきを放っている。
第67回皐月賞(GI)
1着ヴィクトリー 牡3 57 田中勝春 音無秀孝
2着サンツェッペリン 牡3 57 松岡正海 斎藤誠
3着フサイチホウオー 牡3 57 安藤勝己 松田国英
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